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統計学は本当に最強の学問なの?盲信すると落とし穴がありますよ

統計の落とし穴

「統計が最強の学問である」という本が出るくらい、統計・確率という考え方は今やビジネスに必須のスキルになりましたね。

 

今やビッグデータが企業の力を左右し、ABテストが意思決定の正誤を判断しています。

そして機械学習(ディープラーニングなど)も、統計です。

もはや統計が世界を動かしているといっても過言ではありません。

 

しかし「統計」を元に作られる世界は本当に正しいのでしょうか。

 

私自身、過去は統計・確率の信者でした。

麻雀などの運ゲーをするたびに、「確率では正しい選択なのになんでこんな負けるんだよ!運悪すぎるわ!」って思ってました。

 

しかし、「アカギ」を読んで頭をガツンと打たれたような衝撃を受けました。

そのアカギの言葉と、統計に依存することが間違いな理由を説明していきたいと思います。

統計や確率を否定するアカギの言葉

「アカギ」は麻雀漫画でして、簡単に説明すると主人公のアカギは普通に考えたらありえない手を打ち相手を打ち負かしていく漫画です。

その主人公アカギと確率を信仰する偽アカギの戦いにおける描写で、確率に対する考え方を改めさせたのがこれです。

勝負師としてもっとも重要なものが欠けている、この男には今一時の気持ちがない。

奴が信仰しているのは確率という名の思想、半荘3200万ともなれば、確率以上のものが求められるようになる。

牌に対する嗅覚、今この時、大勝負に至っては一手に絞って引き込むくらいでなくては。

それぐらいできなければ話にならない。

奴に出来るのは底の浅い計算だけ、そんな打ち方では勝てまい。

闘牌伝説アカギ 闇に舞い降りた天才

この文章で否定されてるのが、偽アカギの確率信仰です。

正直、最初は「漫画特有のよくわからない論法ね」って思っていたんですが、人生を歩んでいくにつれこの言葉の意味がわかってきました。

 

それについて、説明していきますね。

統計や確率は、試行回数が多くなければ意味がない

統計や確率は、あくまで試行回数を多くしたらこうなる回数が多くなる、というだけの話です。

逆に言えば、今目の前の出来事に対してそれが最適である保証は全く担保していません。

 

例をあげると、「9割の女性は細マッチョが好き」という統計があったとします。

それを見て細マッチョになったとしましょう。

しかし、本命の女性は「太ってる人が好きで、細マッチョは嫌い」かもしれません。

 

同じように「女性にはこういう会話がウケる」「女性にはこういう服装が良い」と統計を元に判断したとします。

それも目の前の女性がそれを好む保証はありません。

何千人という女性にランダムに出会ったときにの統計的な勝率は上がるかもしれませんが、今目の前の女性に対しては効果がある保証はないのです。

統計・確率に溺れると、今が薄まってしまう

まあそこまでは確率だし当たり前でしょ、と思うかもしれません。

しかし確率を信仰しすぎると、それが必ず正しいものと思い込んでしまいがちです。

 

例えば目の前の女性は何が好きかは、本来は相手の服装や会話の流れ・反応などを見て判断するべきことです。

つまり今この瞬間に意識を注ぐべきものです。

しかし確率を信仰していると、それをせずに「女性は統計的にこれが好き」と科学的に正しいとされてることをしてしまいがちです。

ときには「確率的に正しい方法が通用しない相手が悪い」とすら思ってしまうことすらあるでしょう。

 

確率を盲目的に信じてしまうことで、より良い手段を見落としてしまいがちになるのです。

健康・ダイエットも自分に効く保証がない

ダイエットにも色々な方法がありますよね。

「こういう食事をすれば9割の人が痩せました」と。

9割の人が痩せるなら、科学的に保証された素晴らしいダイエット法です。

 

しかし待ってください。

自分にそれが効果ある保証は全くありませんよね。

人の体は、生活習慣から腸内細菌、酵素の数まで全てが違います。

つまり世界中の他の人が効いた方法でも、それが自分に効く保証は全くないのです。

 

あくまで正しい可能性の高いダイエット法として見るのは良いでしょう。

しかし、それは盲目的に信じるのは良くありません。

なにごとも自分の体調の変化や、効果があるかどうかを、冷静に見極める必要があるのです。

ただ「科学的」とか「統計」とかいう言葉に惑わされて、盲目的になってしまうのです。

本当に大事な1つのものに対しては、確率よりも目の前のことに集中する

確率はあくまで多くの試行回数があるものが対象です。

逆にいえば「自分自身にこれが効くか」や、「何か1つだけある目の前のもの」、「大事な1試合」などに対しては、確率は参考にしかすぎないのです。

つまり本当に大事なものに対しては、今いっときに集中し、意識を注ぐことが必要と言えるでしょう。

統計や確率は少数派を無視する

統計や確率は少数派を無視していきます。

つまり、どんなものであれ「多いもの」が正解となってしまうのです。

 

例えば、良く言われる「ポピュリズム」がそうです。

政治において、大勢が好みそうな言葉を使い、人気を集めるものです。

 

本来は政治的に正しい発言をした人が選ばれてしかるべきです。

しかし統計・確率を元に考えると、大多数が好む発言をすることがもっとも正しい選択となります。

仮に国民の大多数が差別賛成なら、差別賛成と主張することが正解となってしまうのです。

 

このように統計・確率を元に判断すると、何が正しいかは関係なく、何が多いかだけで判断されてしまうことになります。

エロ広告だらけの日本

同じような例として日本のエロ広告があります。

日本のWebサイトは、エロ広告が多くありますよね。

あれも、担当がそれが好きだったのではなく、優秀な人たちが統計によって選んだ一番優れている広告がそれだったというだけです。

 

あの広告は女性やエロに興味がない人にとっては不快に映ります。

しかしそういった「統計における少数派」の志向は完全に無視されてしまうのです。

最終的にみんな一緒になる

統計を元に行動を起こすと、正解は1つに絞られます。

確率・数がより多い方が正解です。

 

そして広告はエロがベストになるのであれば、全ての広告の正解はエロがベストになるでしょう。

そうするとあらゆる広告は最終的に全てエロになってしまいます。

つまり統計的に判断すると、最終的にあらゆるものが全て同じになってしまうのです。

オーダーメイドの時代

これからは個人個人にあわせた、オーダーメイドの時代がやってくる予兆がします。

 

例えばZOZOスーツは個人のサイズに合わせた衣類を作ってくれるサービスです。

医療もオーダーメイド医療が出てきて、個人のDNAなどに合わせた治療をコーディネイトしてくれるようになってきています。

Googleも検索結果や広告を個人に合わせてカスタマイズするようになっていきています。

 

その流れが統計と必ずしも反するとは言いませんが、1つ1つが統計により薄まっている今こそ、1つ1つに注目することは大きな差別化につながるのではないでしょうか。

確率や統計では見えないこともある

0か1かになる

統計的に考えると、情報は「0 or 1」といったように簡単な値に丸められ、「どれくらい0か」「どれくらい1か」という点は無視されます。

もちろん「どれくらい好きですか?1~5で選んでください」といったように細かく区切ることもできますが、それでも表せられる範囲には限界がありますし、数字以外の情報は全て無視されます。

そうすると、仮に数字にない点でインパクトの大きいものがあったとしても見落とすことになってしまいます。

 

たとえばディズニーの新キャラクターをABテストで決めようと考えたとしましょう。

そのときコンプライアンス的に不適切なキャラクターが統計的に人気になってしまったとします。

一部の人には大人気ですが、それ以外の人からは大ブーイング。

ディズニー自体に行きたくないという人たちが現れてしまうかもしれません。

しかし「好きか」「嫌いか」の割合だけで考えてしまうと、「ディズニーに行きたくなくなるほど嫌い」という要素が無視されてしまいます。

その結論になるのは他の要因が絡んでいるかもしれない

統計的にある結論が出たとしても、もしかしたらその裏には別の要因が絡んでいるかもしれません。

 

たとえば「統計的に黒髪が良い」という結論があったとします。

しかし、それは「長髪の場合は黒髪が良く、短髪の場合は茶髪が良い」「長髪の人は短髪の人より多い」の2つの理由からそうなっているかもしれません。

そうすると、「黒髪が良い」だけを信じてしまった短髪の人は、損することになってしまいます。

 

実際に科学的な実験でもこの落とし穴によって覆される常識は無数にあります。

たとえば「ベジタリアンは健康に良い」という統計結果が出たんですが、あとから「ベジタリアンは健康志向の人が多く、運動など健康に良いことをやってるから」であることわかりました。

つまりベジタリアン自体には健康効果はなかったのです。

 

世の中には単純化して結論づけられたものばかりで、「AとBはAの方が良い結果だった。したがってAのほうが優れている。」と断定しているものが多く見られます。

したがって、常に「なぜそうなっているのか」を考えながら、疑いの目を持って判断することが重要になるのです。

数字に出来ることしか、わからない

統計は数字を元に集計を取るものです。

逆に言えば数値化できないようなものには、適用できません。

たとえば「面白いか」などはわからず、継続率などの別の数字を見て判断するしかないのです。

 

もちろんアンケートを取ることはできるかもしれません。

しかしアンケートも、相手が本当に考えていることが取れている保証はありません。

気を遣って良い点数をつけられてしまったら意味がないですからね。

 

「相手がどう思ってるか」の本当のところは、分からないのです。

つまり統計を元にそれを判断するのは、非常に難しいのです。

新しいことはわからない

あくまで統計は過去のデータを元に判断するものです。

したがって、データがないような新しいことには通用しません。

たとえば今まで世の中にないサービスが出たときに、どういう反応が起こるかなどは分かりません。

 

統計を元に考えすぎてしまうと、前例のある事しかやらなくなります。

そして新しいことをやるにしても、「パクリ」と言われるものになりがちです。

 

したがって、ときには統計を捨てて「感性」で新しい物事を進めていくことも必要になるのです。

まとめ:統計や確率のワナ

いかがだったでしょうか。

統計や確率にも色々と落とし穴があるよというお話でした。

 

統計を否定するわけではなく、ビッグデータ時代における非常に優秀な手段であることは間違いありません。

しかし「統計的にこうなったから必ず正しい!」という思考は危険なのです。